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高校2年冬:学校にて(2)
 「そろそろ帰るわ。でないと晩飯を食いそびれてしまう」
 横島が立ち上がって背伸びをする。首と背中の鳴る音が、豪快に教室に響く。愛子の“中”では事実上時間の概念が無いとは言え、それでも疲れることは疲れるし、空腹だって覚える。
「今日も事務所?」
 愛子が横島に尋ねる。
「おう。唯一の食事らしい食事だからなぁ」
 仕事がないとはいえ、横島は毎日事務所に立ち寄る。事務所に行ったところで稼ぎにはならないのだが、おキヌお手製の夕飯は食べられる。家に帰ったところで横島一人であり、食事もカップ麺という味気ないものである。そのため、令子やおキヌと囲む食卓は、横島にとって人の温もりが感じられる数少ない場であった。望んで始めた一人暮らしとは言え、常に一人が良いというわけでもない。
「僕もそろそろ帰ります。そろそろ先生も帰ってくる頃ですしね」
「ワッシもそろそろ帰りますケン」
 ピートとタイガーも立ち上がった。
「わかったわ。じゃあ、“外”に出るわね」
 そう言うと、愛子は3人を“外”へと送り出した。

「昼と夜の一瞬の隙間、か……」
 “外”の教室には強い西日が差し込んでいた。 西日は横島を赤く照らし出し、長い影を作り出す。横島は微動だにせず、沈みゆく太陽をただただ見つめる。“彼女”が好きだった時間。そして光景。
「なかなか難しいなぁ……」
 横島は頭を振り、大きく深呼吸する。
「何が難しいの?」
 いつの間にか机の“外”に出たらしい愛子が、後ろから横島に声をかける。
「まあ、いろいろだ」
「いろいろねぇ……」
 いろいろあったのは事実なのだろうと愛子は思う。アシュタロス事件を境として、横島は何かが大きく変わったと、愛子は感じている。これは愛子だけでなく、クラスの女子全員の総意でもある。詳細は不明ながらも、横島・ピート・タイガーの3人がアシュタロス事件に大きく関わっていたことは周知の事実である。ましてや横島は、一時は人類の敵とまで呼ばれたほどである。ならばなおのこと、当時何があったのかはわからないけども、あの事件が横島にとって大きな意味を持っていたのだろうと見なすことは、あながち的外れでないだろうと考える。
「まあ、何にせよ助かった。俺一人じゃどうしようもなかった」
 そう言うと横島は愛子に頭を下げる。
「今度、何か礼をするわ」
「あら、そんなに気を遣わなくていいのよ。好きでしていることだし。それに」
 愛子は横島の両手をぎゅっと掴んで自分の胸に引き寄せる。
「困っているクラスメートの手助けをするのは、クラスメートかつ委員長の役目なの。これもまた青春よね!」
 愛子の視線が再び明後日の方向を見始める。
「誰が委員長だ、誰が……」
 横島の声に、再び疲れが混じった。
「横島さん、タイガー、そろそろ帰りましょうか」
 帰りの準備を終えたらしいピートがそんな横島に声をかける。
「じゃあ、また明日な」
 横島はピートに、おうと応えた後、愛子に片手を挙げて挨拶を送る。
「うん、また明日」
 愛子も、片手を挙げて挨拶を返した。

 愛子は3人を見送ると、机の上に腰をかけた。日は完全に落ち、あれほどざわめいたいた校庭も今は静かだった。校舎を見ても電気のついている教室は数える程しかない。
「静かよね……」
 愛子は机の九十九神であり、学校妖怪である。そんな愛子にとって帰る場所は“学校”しかない。それも固有名詞を持つ学校ではなく、抽象概念としての“学校”である。故に、真の意味での居場所はないと言っても過言ではない。これまでもそうだったし、これからもたぶんそうだろう。
 そんな愛子にとって、3人との関係はこれまで経験したことがないほどに、暖かな場所であった。特に愛子を受け入れるようにかけずり回ってくれた横島は、愛子にとって“特別”な場所であった。
 横島が“特別”であるからこそ、愛子は気づいている。横島が大きく変わった原因のひとつは、間違いなく“彼女”なのだ。あの事件の前の数日間、学校の正門にいた“彼女”。そしてあの事件が終わった現在、なぜかその“彼女”はいない。理由はわからないし確証もないけれども、間違いなく“彼女”はいない。別れたのではなく、文字通り居なくなったのだろうと考える。
 だからこそ、愛子は横島に訊くことができない。訊いてしまったら“特別”が“普通”になってしまいそうだったから。“普通”以下になる可能性だって高い。
「……こういうのも、青春なのよね……」
 いつの時代でも、どこの場所でも見てきた情景。愛子は両膝を抱え込むと、そのまま顔を埋める。
「まさか私がそうなるとはね……」
 でも、明日になれば横島はまたやってくる。愛子にとって、今はそれだけで十分であった。
「いつか、それだけじゃ我慢できなくなるだろうけどね。それもまた青春、かな?」
 くすっと笑うと、愛子は机の中に戻った。
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